小さな快楽をとるか大きな喜びをとるか
人のうわさも75日。
ブログを始めて75日がたった。
ブログはまだうわさにもなってないけど、ひとり寂しく振り返ってみた。
もちろんうまく進まない反省だ。
ずいぶん昔のある時期、地元の地方紙に週1のエッセイ連載を持っていた。
1回1200字。テーマは自由、と新聞社には言われていた。
自由だからなんでも書けた。
旅、教育、文化、生活、その他もろもろ時節の話題など。
北朝鮮に乗り込んだ小泉首相が金正日氏に向かっていくときの目、帰国した5名の拉致被害者のタラップでの笑顔と胸のうち、いまだにウソのような9.11同時多発テロなど、、、旬のトピックを交えて連載は10年近く続いた。
字数は1200字だったから、毎回1195字から1200字の間で完結させた。
いま思うと、あのこだわりは「意地」と「若さ」だったんだろう。
連載10年の間には、全国紙や雑誌、会報の類の原稿依頼もあったから、その間600編を超えるエッセイを書いたことになる。
けど、そのあと10年近く文章は書いてない。
ブログは字数制限もしめきりもないから何とかなるだろうと考えていたけど、そういう安直な発想はやっぱり常にうまくいかないということだ。
で、何が苦しいかと言うと、ネタが浮かぶ浮かばないではない。
ネタ(書くテーマ)はウォーキングの最中や車の中やひとり旅のバスの中なんかで、ふとした拍子に浮かんでくる。それは気分のいいときに限る。
足元の野草から突然蝶が舞いあがるように、それこそ何の前ぶれもなくふっと浮かんでくる。
書かなきゃいけないという状況にある、追いつめられているという条件つきだけど。
つまりネタさがしも結構しんどいのはしんどい。
いちばん問題なのは、ネタが浮かんだからさて書こうと思っていても、なかなか書く態勢に入れないことだ。
書く前にちょっとだけテレビを見よう、ユーチューブを見ておこう、とりあえずコーヒー1杯飲んでから始めよう、、、など、先のばしするいいわけが無限に湧いてくる。
で、結局取りかからない。
いいわけの諸々をこなしているうちに時間が過ぎ、「あー、今日はしかたない、今度にしよう」と、ここまできてまだいいわけしている。
とどめのいいわけ。
これは連載を持っていた当時と全く同じ。
人はどうしてもテレビやユーチューブなど、余計なことに走ってしまう。
そこには小さな快楽が待っているから。
小さな快楽を選んでいるうちは、大切な何かを達成したあとの満足感つまり大きな快楽が遠のく一方だ。
大きな喜びを得るためには、小さな快楽をちょっとだけガマンする気迫が必要だと、うわさも立たないけど75日で再認識したしだいです。
ところで「人の噂も七十五日」の英語版は
A wonder lasts but nine days.
あちらでは9日で忘れられるものらしい。
※ちなみにこのときの but は only の意味で使われています。
last は続くという動詞。以上、中3から高1の英語です。
直訳すると「驚きは9日つづく」