しゃべりーなサイ

ひとり旅の話、昔のこと、最近のこと、たまに勉強の話もひとりごと。ああ諸行無常。

おはようクモ

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「おはよう」と家人に言って、顔を洗いに向かう。

今朝もそこには、きのうよりちょっとだけ成長したクモがいた。


生まれてまだ数日。
最初はハナクソほどの小さな粒だった。
今は巨大ハナクソぐらいに成長している。
 

 水がかかるのに洗面台の斜面にはりついて離れない。
流されればおしまいだ。
命をかけてへばりつくのがいじらしい。
今日も元気でなによりだ。

ゆうべは浴室にも別の子グモがいた。
水がかかると慌てるくせに、その場を離れない。

昔、何かの本で読んだけど、人が生まれたときから備えている恐怖心は「高さ」と「音」に対するものだとか。

高いところで足がすくむ、というあれ。

音はアフリカで人類が誕生したときから、野獣の吠え声で危険を覚り、茂みのガサゴソでひそむ肉食動物を察知するために必要だったから。

数百万年絶賛継続中の連綿DNA。

教わらなくても、経験しなくても、感じる怖さ。
重力は怖い、ということか。

人は快楽追求より危険回避の方が重要だということだろう。

究極の快感とは、その対極にある究極の恐怖をともなったとき、またはそれをやり過ごしたときに感じられるという。
表現は違ってもそんなことを読んだ記憶もある。

赤ちゃんが「高い高い」を好きなのも、パイロットが上空からの落下訓練で感じる恐怖と快感も、ふぐのキモが美味いのも同じなんだろう。たぶん。

クモが水回りから離れないのは、その究極の快感から逃れられないからかもしれない。
と考えればおもしろい。


どっちにしても、うちではクモはそおーっとしておく。

決して追っ払ったりやっつけたりはしない。


害虫を食べてくれるからとかいろいろ聞くけど、成長を見るのが楽しみだから。


ただ、成長が早すぎて、あっという間に大きく広げた手のひらをこえてしまう。
大きさ気色悪さともにエイリアン級だ。
そうなるとこっちが逃げている。

30年、そうやって今の家でやってきた。

子どもグモはあしたもまたちょっと大きくなっているだろう。


それを確認するために朝起きて洗面台に向かうのも悪くはない。